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お前…死んでまうのか?

  • 2013年9月10日(火)

先日、ふと「フィギュアとかつくりてえなー」といつものように”やりたいアンテナ”がびびっと働いたのですが、そのときに思い出したことがあるのでつらつら書いてみます。

いつだったかに、最近話題になっている「3Dプリンター」の特集を見たんです。
アレ凄いですよね。データがあればなんでも立体的に作ってしまうなんてまさに夢のよう。なのですが、僕はこれを見てまずこう思ったんです。

「あっ…これフィギュア職人が死んでしまう」

と。(逆に、3Dデザイナーなんかはこれからウハウハーとかね)
この件もそうですが、便利になったり、夢の技術ーって響きがあったりっていうのは、必ずしも恩恵ばかりをもたらしてくれるわけではないのですよね。今まであれやこれやと苦労して、ようやく形にする術を見つけたのに、気づけば周りはラクに形作る方法を戴いている。まるで険しい山道を登って頂上に着いたら実は別にハイキングコースがあったかのようながっかり感です(笑)
こんな経験、今まで僕もあったといえばあるかもしれません。今なんかはSNSの普及で自己表現がものすんごく簡単にできるようになって、もはや僕がここでくっちゃべってるのも馬鹿やってるなあって思えてしまうもんです^^;
利便性はときに、それまで必要としてきたものをいとも簡単に殺してしまうのですね。

…そんなことを思い出してしまったので、やっぱり今更フィギュアを自分の手で作るのってどうなのかな、とちょっと考えたりしたわけですが、そう考えると難しいですよね。だって大体の技術って上記のような可能性があるんだもん。となるといろいろ手が出しにくい?時代を読む力が必要か?ラクにできるようになるまで待つべきか?なーんてことをちょっと悶々と考えてしまうのでした。

※ ※ ※

しかし、果たして本当に代替技術ができたときに元の技術は不要になってしまうのか?
ということでとりあえず色々な視点から考えてみることにしました。

【1】元の技術は全ての先端技術の礎になる。

↑のように書くとなんかもういかにも意識高い臭いがプンプンして僕はもう逃げたくてしょうがないのですが、それでもやっぱりこの考えは大切ですよね。実際、やっぱり技量が高いほうが何かといいことがありますし。特にひねくれたところまで手を伸ばしたければ、礎となるところを知るのは大切になってきますよね。
あっあと便利なものに支えられてばっかりってのもよく考えたらなんか癪に障るなーって。これは個人的な考えですが(笑)

【2】技術は全て知識となり、創作の種となる。

僕はなんか面白い知識を手に入れてしまうとついつい創作ネタに出来ないかなーと妄想してしまうのですが、特に技術チックなのって妄想の内容を骨太にしてくれてすごく好きなんですよね。特に原始的なものほど燃えるというか・・・ このことに気づいてしまった時点で結論出てしまいますね。全て妄想の種にしてあげるからねー!!!うふふー!!!!

とまあ、色々考えてみると楽しいなあっていうか、無駄なものなんて存在しないというか、無駄って考え方をしたくないというか。
というか僕そもそも仕事で創作やってるわけでもなく趣味全開でいってるのに、こんな考えでぐるぐる回ってしまう時点でおかしいんですよね。やりたきゃどんどんやればいいし、古いやり方も新しいやり方もいろいろ触って楽しんでいけばいい。その先に見えるものは全くわかりませんが、進まないよりは先が見えるはずですよねー
あっでも今回こうやってちょっと立ち止まって考えてみたのはそれはそれで楽しかったのでありかなとは思っています。

※ ※ ※

そういえば東京オリンピックが決まりましたね。と無理やり時事ネタをかませてみる。とりあえずめでたいですね。
7年後とまだ先の話とはいえ、大きな祭典が自分の国で行われるという事実。それだけで、「7年後っていろいろどうなってるのかな」っていろんな期待をぽんぽん膨らますには十分。
未来への希望を抱くのってそういえば僕(を含む僕の世代)はあんまりしたことないな、と。こういうのも悪く無いですよね。できることなら、なるべく不安とかではなく希望をもって生きていきたいものです。上記でつらつら書いたことも含めて。(頑張ってつなげた)

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