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九尾制作レポート その3

  • 2013年10月31日(木)

図1:極限状態の中、尻尾手で遊ぶダメ人間の図
どうもこんばんは。
今回も九尾制作レポートの続きです。

前回記事の最後で、「カワハロ間に合わないかもヤバイ!!!」と嘆いていましたが、結果から言うとギリギリ間に合いました(笑)
ただし、仕事の有給カードを1枚切ってさらに前日は助っ人の手まで借りて、寝る時間を削ってそれでやっとギリギリという感じでしたが。初期の頃の予想通り、見事に地獄を見ました。暫くこんなきっついスケジュールはゴメンです(´・∀・`)

それでは、
・型を転写した生地の裁断
・生地の縫い合わせ
・綿詰め、骨組みへのドッキング
・装着具の作成
・最終調整
まで一気にどうぞ!

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九尾制作レポート その2

  • 2013年10月21日(月)

図1: 今回はここまでやります

どうもこんばんは。
今回は九尾製作レポートの続きです。

今回は結構地味な作業が多めなのですが…ひとまず流れはこんな感じ。
・型紙制作(型紙試作→テスト組み立て の繰り返し→正式な型紙の作成)
・型を生地に転写

この中からネタになりそうなところを幾つかピックアップしていきます。

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九尾制作レポート その1

  • 2013年10月15日(火)

図1: 荒ぶる26歳九尾制作!!!
皆様お久しぶりです。気づけばキマイラクションも始まってから1年経ってしまいましたね。

さて、1年といえばちょうど1年前、このサイトを立ちあげたばかりの頃に何やってたかというと、せっせこせっせこ、カワサキハロウィン合わせの獣耳作りに励んでいたわけです。(そのときの記録がこちら。)
んで、今年もそのカワハロが近づいてまいりまして、今年は特になにか新しいものをやろうかなとは考えていなかったのですが、10月入ったあたりから「やっぱりなにかやりたいなー」って。
そういえば昨年は獣耳作りと一緒に尻尾もついでに作ったなーって。あれ作ったはいいんですけどかなり適当制作だったしあれから何も手を加えてないんですよねえ…

ということで今年は新しく尻尾の方を作ろう! という結論に至ったのです。
でもただ普通にいつも通りに作るだけではあまり面白くない…(獣耳に比べるとかなり工程が簡単なんですよね)

んじゃあキツネらしく9本にしてしまおう! イメージはこんな感じでいこう!(図1参照)

しかしこの判断が地獄の入り口になるとはこのとき思ってもいn……いや、若干予想はしていました。
ということで今回は九尾制作レポート(14日までの分)をお送りします。

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お前…死んでまうのか?

  • 2013年9月10日(火)

先日、ふと「フィギュアとかつくりてえなー」といつものように”やりたいアンテナ”がびびっと働いたのですが、そのときに思い出したことがあるのでつらつら書いてみます。

いつだったかに、最近話題になっている「3Dプリンター」の特集を見たんです。
アレ凄いですよね。データがあればなんでも立体的に作ってしまうなんてまさに夢のよう。なのですが、僕はこれを見てまずこう思ったんです。

「あっ…これフィギュア職人が死んでしまう」

と。(逆に、3Dデザイナーなんかはこれからウハウハーとかね)
この件もそうですが、便利になったり、夢の技術ーって響きがあったりっていうのは、必ずしも恩恵ばかりをもたらしてくれるわけではないのですよね。今まであれやこれやと苦労して、ようやく形にする術を見つけたのに、気づけば周りはラクに形作る方法を戴いている。まるで険しい山道を登って頂上に着いたら実は別にハイキングコースがあったかのようながっかり感です(笑)
こんな経験、今まで僕もあったといえばあるかもしれません。今なんかはSNSの普及で自己表現がものすんごく簡単にできるようになって、もはや僕がここでくっちゃべってるのも馬鹿やってるなあって思えてしまうもんです^^;
利便性はときに、それまで必要としてきたものをいとも簡単に殺してしまうのですね。

…そんなことを思い出してしまったので、やっぱり今更フィギュアを自分の手で作るのってどうなのかな、とちょっと考えたりしたわけですが、そう考えると難しいですよね。だって大体の技術って上記のような可能性があるんだもん。となるといろいろ手が出しにくい?時代を読む力が必要か?ラクにできるようになるまで待つべきか?なーんてことをちょっと悶々と考えてしまうのでした。

※ ※ ※

しかし、果たして本当に代替技術ができたときに元の技術は不要になってしまうのか?
ということでとりあえず色々な視点から考えてみることにしました。

【1】元の技術は全ての先端技術の礎になる。

↑のように書くとなんかもういかにも意識高い臭いがプンプンして僕はもう逃げたくてしょうがないのですが、それでもやっぱりこの考えは大切ですよね。実際、やっぱり技量が高いほうが何かといいことがありますし。特にひねくれたところまで手を伸ばしたければ、礎となるところを知るのは大切になってきますよね。
あっあと便利なものに支えられてばっかりってのもよく考えたらなんか癪に障るなーって。これは個人的な考えですが(笑)

【2】技術は全て知識となり、創作の種となる。

僕はなんか面白い知識を手に入れてしまうとついつい創作ネタに出来ないかなーと妄想してしまうのですが、特に技術チックなのって妄想の内容を骨太にしてくれてすごく好きなんですよね。特に原始的なものほど燃えるというか・・・ このことに気づいてしまった時点で結論出てしまいますね。全て妄想の種にしてあげるからねー!!!うふふー!!!!

とまあ、色々考えてみると楽しいなあっていうか、無駄なものなんて存在しないというか、無駄って考え方をしたくないというか。
というか僕そもそも仕事で創作やってるわけでもなく趣味全開でいってるのに、こんな考えでぐるぐる回ってしまう時点でおかしいんですよね。やりたきゃどんどんやればいいし、古いやり方も新しいやり方もいろいろ触って楽しんでいけばいい。その先に見えるものは全くわかりませんが、進まないよりは先が見えるはずですよねー
あっでも今回こうやってちょっと立ち止まって考えてみたのはそれはそれで楽しかったのでありかなとは思っています。

※ ※ ※

そういえば東京オリンピックが決まりましたね。と無理やり時事ネタをかませてみる。とりあえずめでたいですね。
7年後とまだ先の話とはいえ、大きな祭典が自分の国で行われるという事実。それだけで、「7年後っていろいろどうなってるのかな」っていろんな期待をぽんぽん膨らますには十分。
未来への希望を抱くのってそういえば僕(を含む僕の世代)はあんまりしたことないな、と。こういうのも悪く無いですよね。できることなら、なるべく不安とかではなく希望をもって生きていきたいものです。上記でつらつら書いたことも含めて。(頑張ってつなげた)

キャラの考え方の違い

  • 2013年8月30日(金)

僕は活動の性質上、よくケモノ着ぐるみイベントとかに行ったりするので、そういう着ぐるみを作ったり装着したりする人がお知り合いに結構いるのですが、そういう方々がたまーに口にする言葉で、個人的にちょっと文化の違いを感じる言葉があるのです。
それは着ぐるみ師さんが新しい仔の作成をするときに口にする言葉。

「どうしよう、この名前他の仔と被らないかな…」

と。ああ、着ぐるみ界隈だとこういうこと気にしなきゃいけないんだなあ…って、聞くたびに思っています。そうですよね、名前というのはそれこそ「キャラクター」を表し、象徴する言葉。オリジナリティが要求されるはずの場所であり、意図せず他の仔と被ってしまったときには…(まあでも、意図的に似たような名前にすることとかはあるんでしょうけど、それはそれ)
で、思ったんですけど、僕も創作キャラクターとかよく考えたりする身なので上記に似たような感情を覚えるはず、…なんですが、こういうこと考えないんですよね実は。少なくとも僕は考えないです。何が違うのかなーとちょっと考えたのですが、確かにありますね、明確な違いが。

それは、「同じ世界で活動するか、そうでないか」ということ。
キャラクターというのは、考えている時点ではそれぞれのキャラクターは各々の脳内世界に存在するもの。それは着ぐるみ界隈であろうが、僕がやるようなキャラクター創作だろうが共通です。
問題はそこから生み出された仔達をどのように活躍させるかということ。着ぐるみキャラというのは、現実世界に「召喚」することで活躍する場を与えられます。どんなに生まれるまでに様々な経緯があろうと、活躍の場は共通。対して僕は基本絵描きさんなので、「召喚」する場所は紙の上の世界。そこは上記の脳内世界とは少し異なるかもしれませんが、誰にも干渉されない、僕だけの世界です。

従って基本的には、「同じ場所に立つことによる不安」を感じる必要って無いんですね。(ここで、「創作企画とかになると同じ世界になるよね?」って思ってしまったのですがこれはまた暇な時にでも考えることにします)
まあでもたまに創作したキャラクターが他の人のキャラと似通ったものになってしまったときには一種の悔しさなんかを感じたりするわけですが、それは単純に「唯一のものを考えることができない自分への苛立ち(笑)」とかですし…名前とかは前は被ると「あー」くらいには思ってましたが最近は別にいいじゃんーと思うようになりました。(その分、しっかりキャラにあう名前を付けなきゃな、という気持ちがだんだん強くなってきたりね)

そう考えると、同じ世界でこういう活動するってなかなか大変なんだなーとか思ってしまいます。それでも、自分の描いたものを現実世界に実現できるというのは、なかなか羨ましいものなのですけどね。